ジモカツ  

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ジモカツ特別企画
映画『ホームカミング』飯島敏宏監督インタビュー

DVD 町内会・自治会って日頃どんな活動をやっているのかわからない?!と思っている人は意外と多いのではないでしょうか?
 「ジモカツ」コーナーは、区内の大学に通う学生さんに、「ジモト」の「カツドウ」に実際に参加していただき、彼等の目線で活動を紹介してもらうことで、日頃活動に参加しない若い世代の方々にも関心を持っていただきたい!という趣旨ではじまりました。
 今回は特別企画として、まさに「ジモカツ」のねらいとピッタリの映画『ホームカミング』の監督である飯島敏宏(いいじまとしひろ)さんのインタビューをご紹介します。
 飯島監督は、「金曜日の妻たちへ」というTVドラマを手がけられた方で、「金妻」という言葉は社会現象にもなりました。「金妻」で描かれているのは、都心で働き郊外に憧れのマイホームを買った世代の話。映画『ホームカミング』ではこの世代が、そのまま歳をとって定年退職して地域に戻ってくる様が描かれています。(あらすじはコチラ
 定年退職された方はもちろん、その子ども世代も一緒に楽しみ、地域のあり方について考えさせられる映画です。
 監督に、ジモカツの目線から、映画誕生の背景などを伺いました。

 

飯島敏宏監督 プロフィール 
 1932年東京生まれ。慶応大学卒業後、TBSに入社。「鳴門秘帳」「大江戸の鷹」「風」などの時代劇、「月曜日の男」など現代アクション・ドラマ、「泣いてたまるか」「思えば遠くへ来たもんだ」などの人情喜劇、「ウルトラQ」「ウルトラマン」などのSF特撮テレビ映画と幅広いジャンルを手がけ、木下恵介プロダクション設立に参加。「俄・浪花遊侠伝」「それぞれの秋」などプロデュース・演出。「金曜日の妻たちへ」「それでも家を買いました」「理想の生活」など、近来は自身の住むニュータウンを舞台に作品を作り続けている。劇場監督作は、「怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス」(72)、「劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(01)。TBS /木下プロダクション/ドリマックス・テレビジョン退職後、現在フリー。千束北男のペンネームで脚本も手がける。

 

○ 多摩区の西三田団地に7年間住んでいました

本日は多摩区の地域活動を紹介するコーナー「ジモカツ」で、飯島監督のお話を紹介させていただきたいと思います。まず、監督は昔多摩区にお住まいだったと伺いました。その頃のお話をお聞かせください。

 多摩区の西三田団地に7年間住んでいました。当時、分譲の公団住宅は憧れの的で、抽選だったわけですけど倍率が非常に高かった。公団住宅に居住していると当選率が上がるという話があって、敢えて埼玉県の公団住宅に応募・当選することで当選率を上げる工夫をしたのです。埼玉から当時お仕事をしていた円谷プロとの長距離通勤を、半年間継続した後、念願の西三田団地に当選しました(笑)。

 当時は分譲の公団住宅に入ることが「ワンランク上の生活」を意味していました。サラリーマン家庭が分譲住宅を買うということが、それだけ意欲が高かったんですね。西三田団地は立地的に交通の便が良いことから非常に人気があったのです。

 撮影所は世田谷区の砧や成城、調布などに多く集まっていたので小田急線で足を運びやすかったですね。また、テレビ映画の撮影には多摩川周辺がよく使われていました。柿生は時代劇のメッカと言われていて、電信柱さえ除けば昔の景色が残っていたので、街道ものの撮影に適していました。私は、撮影のためこれらの場所へ出向いていたため、土地勘を持っており、時代物や郊外の話になると多摩区を撮影場所に使うことが多かったです。

 多摩区のエピソードとしては、当時住んでいた西三田団地の上から見える身近なロケーションを撮影場所にすることが結構ありまして、「ウルトラマン」でバルタン星人に遭遇するのは長沢浄水場なのです。長沢浄水場のデザインは独特なので、撮影にはよく使いました。現在もそのまま残っていますね。

 

○ 地域コミュニティを映画のテーマに扱ったのは「まちは人がつくる」ということを描きたかったから

監督の映画『ホームカミング』を鑑賞させていただき、「ジモカツ」のテーマに深く通じていると感じました。少しでも多くの人がこの映画を観てくれたら、もっと地域コミュニティに関わってみたいと思うのではないかと感じます。監督がこの映画で、地域コミュニティをテーマに描かれようと思われたのはどういう経緯があったのでしょうか?

 もともと、この映画の前段階にNHKの帯番組としてオンエアされた「理想の生活」というTVドラマがありました。堺正章さん主演で、定年を迎えた主人公が思い描いた理想の生活と現実とのギャップを描いています。その後、私の集大成として好きな劇場映画をつくっていいよという話をいただいて、自分で台本を書いて監督してつくったのが『ホームカミング』です。

 「理想の生活」の舞台は、現在私が住んでいる町田市の成瀬台団地です。『ホームカミング』では、再び成瀬台を舞台に、実際に行われている、なるせだいまつりを取材したり、まちの人の協力を得ながら制作しました。

ジモトを舞台に映画をつくるなんて、映画づくりそのものが「ジモカツ」ですね!

 「理想の生活」をつくる前段階には、私の代表作である「金曜日の妻たちへ」があります。東京オリンピックを境に東京が満杯になり、住宅政策として東京の外側に住宅がどんどんつくられるようになった。そして人々は多摩川を渡って理想の生活を手に入れるわけです。「金曜日の妻たちへパート2」のタイトルバックは、まさに小田急線のロマンスカーが東京から多摩川を渡って行くカットです。シリーズ中の舞台となったロケ地は、中央林間やつくし野、たまプラーザなどの郊外の新興住宅地でした。

 監督がおっしゃるように、郊外住宅地が開発された時期は、戸建住宅を買うことが若者の理想だったのですが、最近の若者は戸建住宅より都心の便利なマンションを好むようになって、戸建住宅に住む人の年齢層が若返らず、まち自体が高齢化していくという傾向にありますよね。 当時の若者の理想と、現在の若者の理想が同軸線上にないという・・。

 『ホームカミング』の冒頭では、まさに「当時の理想の生活」と「現在の理想の生活」のギャップについて描いています。主人公にとっては土地付一戸建てが目標で、2世帯住宅にして息子と住もうという夢を持っていた。でも息子にしてみると、「このまちは自分の故郷だと感じられない」と言って、都内にマンションを持っている女性と結婚すると言い出す。つまり、自分の理想の生活を築こうとしたけど、息子に裏切られてショックに陥るというシーンから始めました。このようなことは私の住む成瀬台でも実際にみられます。

 この映画では、こうした理想の生活を夢見た人が集まったまちが高齢化を迎えている状況について「終わりのまち」という言い方をしているのですが、ある週刊誌の取材を受けた時に、こうした状況を招いたのは「金曜日の妻達へ」などの作品が団塊の世代を多摩地域に駆り立てたことが原因だという書き方をされて、奮然としたことを覚えています。私は、まちというものは不動産屋や行政がつくるのではなく、そこに住む人がつくるものであると考えていたため、この記事は人間を考えている記事ではないと思いました。そこで、これに私なりにやり返すのはドラマという手段で、シリアスな手段ではなくホームドラマと喜劇の形を取りながら、きちんとこのテーマを伝えようと思ったのです。

この作品では、映画という短い時間尺の中で、自分たちがまちを動かしていくことができるのではないか?という希望が描かれていると感じました。

 そうです、「まちは人がつくる」というのがテーマで、住んでいる人が「終わりのまち」だと思ってしまったら本当の終わりになってしまいますからね。

 

○ 地域に入っていくことが難しい時代に、地域で活動する楽しさを伝える

現在、定年後にまちに帰って来て活躍することが見込まれていた団塊の世代が、なかなか地域に帰ってこない状態であり、町内会・自治会の役員さんも70代が中心となっていると聞いています。

 これは定年が65歳に引き上げとなったことも影響していると思います。団塊の世代の上澄みの人々は、土地付一戸建てが理想であることに対し、団塊の世代の真ん中以降の人から、空中楼閣のマンションの方が良いという価値観に変わってきていて、そういう世代性も影響していると考えます。後者の世代は地域社会に入りにくく、結果として地域では町内会で活躍している人材の世代交代が進まないのではないでしょうか。

 私は成瀬台のことしかわかりませんが、成瀬台には私のように西三田団地から移住してきた人が結構多いです。分譲の公団住宅を手放す際に生まれる財源を頭金として、新たに住居を構える人が多かった。当時のローンは10%であり、なかなか払い終わることはなかった。それでも土地付一戸建てが欲しい世代だったのです。

 地域に帰ってきた世代は、地域に入りたいけどどこから入っていけばいいかわからないということがあると思います。この映画では、主人公がちょっとした事件に巻き込まれながらも、まちの活動の中心に入って行くという痛快さがありますね。

 まさにこの主人公もそうだけど、私自身が仕事に打ち込んでいて、住居とは寝るだけの場所であり、隣の人とも口をきいたことが無かったのです。しかしながらリタイヤ後、私の場合は胃がんの闘病があったのですが、術後のリハビリテーションで散歩をしている時に見かけたラジオ体操に誘われ、そのままずるずると引き込まれる形で地域に参加していったのです(笑)。

主人公の体験は、まさに監督の体験だったのですね!

 先ほどの週刊誌の記事は、同じ世代がニュータウンに入居し、住民が一斉に歳をとっていくことでまちが終わってしまうという書き方だった。確かに入居当初はみな30代前半で、課長に手が届くくらいであり、妻達は20代後半で当時自治会活動に積極的に行っていた。新しいまちですから、幼稚園や小学校など、全て新築でやりがいがあったのだろうと思います。日中は活動して、夜は「金曜日の妻たちへ」を観ている(笑)。男性は仕事をしているからドラマなど観ている余裕はない。そんな状況だったのです。そして今、成瀬台では60歳を過ぎ、悲しい話ではありますが独身になった女性達、まさに「金曜日の妻たちへ」を観ていた世代が、再び自治会の活動に打ち込むようになり、いろいろなグループを作り始め、今地域活動がとても活性化しているのです。

 

○ 若い世代がニュータウンに帰って来る可能性は「コンパクト」な暮らし

息子さんの世代が、映画では帰って来るという話になりましたが、実際には監督はどうお考えですか?

 住宅が安くなるということがひとつでしょうね。これは嫌がる人はいるかもしれないけど、相続時に土地を分割細分化することで、35〜40坪の庭なしでカーポートのみという家が増えてきています。そこにぽつぽつと若い人が戻ってきています。都心のアパートではなく、小さいけれど家があり、維持に費用がかかる庭を省くという新しいスタイルです。かつての理想の戸建てイメージは、庭が広く緑が多いイメージだったのですが、今の若者のライフスタイルにはコンパクトな家がはまるかもしれない。庭はないけれどプランターでおしゃれに飾って暮らす。理想の生活の「理想」の部分が小さくなって、いわば小洒落た形になってきている可能性があると思います。

 

○ これからは、より「まちづきあい」の機会をつくることが大切

この映画で描かれる主人公の息子さんと幼なじみの婦人警官という若い世代のキャラクターが、「まちを次世代につなぐ希望」を描いていると感じました。ジモカツでは、大学生など若者に地域活動を伝えている訳ですが、こうした若い世代に向けて地元に入るということについてメッセージをお願いします。

 これは住宅メーカーさんへの営業妨害になるかもしれませんが(笑)、これからは無理して2世帯や3世帯の同居を勧める必要はないのだと思います。そうではなくて、「コンパクトな住宅」という新しい合理的な形で、お互いに最低限の干渉だけで、孤独死せずに済むライフスタイルを体現できるような住宅のあり方があるのではないかと思います。最近は賃貸で済ますことが経済的だと捉えている風潮もありますし、昨今賃貸住宅のレベルが上がってきているので、ありではないでしょうか。

私は賃貸マンションに住んでいるのですが、賃貸住宅であると町内会・自治会などへの地域参加が難しい印象があります。

 今の若い世代が求める「理想の生活」がコンパクト化されているとしても、うまく横のつながりをつくっていき、地域参加の機会をつくることが大切なのではないでしょうか。かつては家の中に人を入れて食事をとるという習慣が無かったのですが、「金曜日の妻たちへ」でそれを描いて辞書をひいて「パティオ」という言葉を使ったら、人々が実践するようになり、その後住宅メーカーが「パティオ」という言葉を使って、それを実現出来るような間取りで住宅が作られるようになった(笑)。たとえ狭い坪数でも人が集まれる場所やライフスタイルがあれば、横のつながりをつくっていけるのではないかと思います。親の世代になっていくとさらに横のつながりは生活していく上で必須であり、孤独死の対策でもあります。つまり、都心の高層マンションだとしても土地のつながりが必要になると思います。私がラジオ体操を2〜3日休むと、仲間は安否を気にしてくれる。孤独死の確率は横のつながりの有無に左右され、孤独死防止のためには「まち付き合い」が必須であると思います。

 

○ 映画のタイトルは「ホームカミング」とは?

最後に、映画のタイトルである「ホームカミング」。劇中ではまちを離れている人も、この日はまちに帰ろうという「ホームカミング・デイ」というイベントが解決策として出されていました。これはどういうキッカケで得られたアイデアなのですか?

 あれはアメリカの架空のまちのエピソードなのですが、ヒントになったものはアメリカの「綿摘み」で、綿花を摘むために労働者がまちから出ていき、それが終わるとまちに帰ってくる。それを、まちを上げて歓迎するというシーンが映画やニュースでもありましたよね。宗教ではなく、綿摘みシーズンになるとまちへ帰って来る人を歓迎するお祭りをすることを意識してつくった。だから、まちに氏神がなくてもお祭りは成立するんだと思ったのです。成瀬台では、正月に餅つき大会をやると、子供たち孫たち、さらにはひ孫まで集まって、まちにこんなに人がいるのかというお祭りになっています。

まちに常にたくさんの人がいるのではなく、まちに帰って来る日をつくるというアイデアなら、我がまちでも出来そうなのではないかという、無理のない提案をされていると感じました。
常に時代の最先端の「理想の生活」を作品の中で発信されてきた監督から、現代の地域課題についてたくさんのアイデアをいただくことができました。本当にありがとうございました。
この映画『ホームカミング』は、封切りが、あの東日本大震災の翌日2011年の3月12日だったため、川崎市でも計画停電や余震の影響があり、上映がうまくいかなかったと聞いています。このインタビュー記事を読んだ方が、一人でも多く映画に関心を持っていただくことにつながれば幸いです。
本日はありがとうございました。

 

 

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